2003年02月14日

罪悪感のバランス

昔の話。
親に内緒で彼氏の家に外泊するとき、私は自分の身に何か一つ「悪いこと」を探した。
その時、風邪気味であったり、お腹をこわしていると、不快には違いないのだが、どこかほっとしていた。
これは、親に嘘をついているという罪悪感を、何か他の悪いことで割り引こうとする心理が働いてのことである。


何もマイナスがないと、わざと「さかむけ」をひっぺがして指を腫れさせたりして
先に「ばちが当たった」状態を作っておいたりもした。
遅刻して上司にひどく叱られた時などは、小躍りしたいくらいうれしかったものだ。
「ここまで嫌なことがあれば許されるだろう」と。


何か「蔭で浮気をしているから夫に優しくできる」
…などとのたまうけん怠期婦人と、ほとんど発想は変わらない気がするが、
人って結構、知らず知らずに、こういうくだらないバランスをとって 自分の内に均衡を保っている。


お金持ちの彼氏だから、ちょっとくらい浮気されたり、冷たい態度をとられても目をつぶることもできる。
親を看てもらっているから、嫁のヒステリーにも我慢が効く。
その実、冷たくする彼氏も、ヒステリーになる嫁も、心の奥底では、相手の罪悪感を承知していて、その上で甘えているんですね。


復讐に燃えて他人を殺してしまう…なんていうのも、堪忍袋の緒が切れる瞬間も、
元を辿れば、自分の中のバランスが崩れる時なのだ。
この時の心理を言葉にすれば、「理不尽なり!」に尽きる。
持ちつ持たれつ、ギブアンドテイク…
人間関係を円滑に保つためには、やっぱりもらいっぱなし、あげっぱなしはだめで、
このバランスを取ることは、必要な在り方であるようだ。


しかし、この発想の中にいる限り、人には成長がない。
カルマとは、この発想の輪、というよりこの発想そのもののことだろうから。

田んぼを守るために、一生を一つの村で暮らした人とか、
夫の親を看ながら、ヒステリーを我慢しきった婦人(笑)とか、
殺したいほど憎んだ相手を、一生をかけて許した人とか、
そういう人が、結局、最も人生に鍛えられた人であろうし、
本当の心の安らぎを獲得した人に違いない。
天国があるとするなら、彼らのものだ。
今後何度生まれ変わっても、その場を天国に変えてしまうだろうと言う意味で。


バランスの発想の輪から抜け出た人だけが、本当の自由人。
カルマや因果応報も関係がない。
どんな境遇であろうが、責任をとれる。耐えてゆける。幸せでいられるのだろう。
posted by ミケ at 10:36 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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