2005年11月24日

竹生島、出雲、三輪山巡礼

11月。陰暦ではまだ10月、神無月。
この月を「神在月」と呼び、「神在祭」を行う出雲の国に行って参りました。

また、この一週間前は、日本三大弁天様の一つ、ふるさと琵琶湖の地、滋賀県の竹生島に行き、 さらに出雲「神在祭」の一週間後には、古事記のふるさと、奈良は三輪山、大神(おおみわ)神社に行きました。

なんという強烈な三週間でしょう!(笑)
どの旅も突然で不思議で、なにもかもが奇跡に彩られた旅となりました。

その全貌については、今の段階で話せないこともありますし、わたし自身、把握していないこともいっぱい‥‥(^^;)。


うまく言えないのですが、一連の旅が終わり、ふと気づくと、わたしの中で、確実に、何かが変わったのを感じています。
いわば、あの少女時代の神秘体験中のような感覚です。

その後、わたしは大きな失敗もしました。
穴があったら入りたいような情けない事態を招いたこともありました。
こんなだれよりも怖がりで、情けないわたしでも、今、意味もなく、訳もなく、ただただ幸せな気分でいっぱいです。

悲しいことがあれば、それはもちろん、これからも泣くでしょう。
でも、わたしの心が、歓喜からはずれることは、この先ないと思います。
矛盾しているようですが、わたしの心は常に喜びに震えながら、必要であれば泣き、怒り、笑うだけだと心底、知りました。
 
「それでもいいよ、何も変えなくてもいいよ、すべてはパーフェクト」
と励ましつづけてくれていた何者かの息吹きに心からの愛と感謝を捧げます。
posted by ミケ at 16:34 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

実りの秋というシンボリズム

さて、吐く息も白んでまいりました。
木の葉も色づきはじめ、秋も、いよいよたけなわ。
色鮮やかな季節は、ただ眺めているだけでも、心に響くものを感じます。

京都の市内でも北部の小さい盆地に位置するわが家は、四方すべてに山があります。

この季節、わが家のベランダからのながめは最高。
桃色に色づいた山のきわに、ながれていく雲を見ていると、ふとトンビがぱっと視界に飛び込んできます。

そのとき、心が はっとします。

また、赤とんぼが落葉しかけているトネリコにとどまっているのをぼんやりながめていると、冷たくなった風がふっとほほを撫でます。
そんな時わたしは、なんとも表現しがたい感傷にとらわれ、こころがふるえるのです。


現実逃避か、はたまた現実の直面か。(笑)


以前から、こういう傾向のあるワタクシですが、ちかごろ、ますます拍車がかかってきた感。
そして、秋は、そんな心と現実とのハーモニーを体感するのにうってつけの季節。

夕闇に消えてゆくカラスの一群に、ポトリ‥と落ちる木の実に、こどもの洗濯物のポケットにどんぐりを発見する瞬間に、わたしたちは「何か」を感じています。

こころをとらえ、はたと手をとめてしまうような「何か」。

この「何か」を、ただ見つめ、ただ味わい、それそのものとしてあるだけ。

それが問いかけと同時に、すでに答え。

そう、この「何か」とは‥‥‥‥

‥‥わたしは「感動」と言い換えられるような気がします。


わたしたちは、感動によって、イノチを与えられているのを知ります。
感動によって、生かされていることを、体得すること。

それが、「実りの秋」の本質‥‥なのかもしれません。
posted by ミケ at 16:33 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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