2007年11月06日

おじいちゃんの幻

ちょっとヘンなはなし。


先日、弟の結婚式ではひさびさの親戚に会った。
中には、十年ぶりの叔母ちゃんなどもいて懐かしかった。わたしが「おばちゃん」になっていったように、叔父や叔母たちも、いつのまにか深い皺も増え「じいちゃんばあちゃん」風情になっていた。
父方の祖母は、骨と皮と心臓だけの生物みたいで、叔母に車椅子に曳かれているようすは、何だかかわいい妖怪のようだった。あと3年で1世紀生きたことになる。
母方の祖母の方は認知症でもちろん来られる状態ではない。
祖父がいなかったので(ああ、もうかなりのお年のはずやもんなあ=だから来られなかったんやなあ)と、何気なくそう思っていた。


チャペルから出た時、叔父ちゃんに(おじいちゃんは?)と聞こうとして我に返った。
おじいちゃんは、死んで、もう7、8年くらいになることを。
小さく戦慄のような震えが走った。


おじいちゃんがとうに亡くなっていることは、わざわざ何も考えることもないくらいの大前提中の大前提。
わたしが、かりそめにも「まるで生きた人を思う」ように思った自分の心が信じられない。


そして、わたしは気づいた。
(おじいちゃんがいる?!)と。
目頭が熱くなった。弟に告げたかったけれど、もちろん黙った。


もうご先祖さまになってしまったおじいちゃんは、生きている間は、大酒飲んで大暴れする、世にも乱暴な男で、親戚はむろん近所でも有名だった。
母方なので、わたしは同居ではなかったし、彼に泣かされなかった家族はいないくらいだったから、正直言って、あまり親しみを覚える人ではなかった。


でもどういうわけか、亡くなってから、わたしは時折、彼の夢を見るようになった。
ご先祖さんの一員となって、愉快に過ごしている彼の夢を見るようになった。


そして…おじいちゃんの幻を、はからずも感じた結婚式。
祭が大好きだったおじいちゃんは、ひょっとすると列席してくれてたのかもしれない。
あちらとこちらの境目あたりで、好きな詩吟などがなりながら、孫の佳き日を寿いてくれていたのかもしれない。


「結婚というのは大事業」ってことを、おじいちゃんの不意の登場?に、改めて感じ入ったちょっとヘンな話。
永久の愛を神の御前で誓う時、そこにご先祖さんがいたとしても、なんらフシギなことではない気がした。


posted by ミケ at 00:33 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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