2008年01月20日

物欲はワンダーランド

◯ 先だって、激しく物欲にさいなまれるもの(笑)に出逢った。こんな気持ちは十数年ぶりか。
ここ数週間、そのことばかり考えていたら、ふと自分の脳天からソレが突き刺さっているようなアホな感覚を覚えるまでになってしもた。(^^;)

◯ 物欲は「自我」や「エゴ」と信じている人が多いような気がするけど、わたしはそうは思わない。自我とは、わたしの場合、ほんとうはそうしたくないのに無理に何とかしようとしている時にだけそう感じる。たとえば趣味で書いている小説を、途中で切り上げたくなったのに、何とか今晩中にやってしまおうとしている時とか、十分に満腹を感じているのに、何とか食べきらなきゃと我慢して食べている時。ブーツを買おうと選んでいる途中で、ほんとうは購買欲が急に冷めちゃったのに、どうしても選ぼうとしている時とか、わたしはエゴの存在を強く感じる。

だから物欲そのものは、わたしにとっては、ちっともエゴじゃない。ほんとうにそうしたくてそうしている時は自我も真我もないで。そうしたくてそうしているのは、それを手に入れようとあれこれ思案するのも楽しくてワクワクするし、アイデアが湧いてくるし、しまいには脳天から突き刺さるっちゅうドアホな幻まで見え、わたしをワンダーランドに運んでくれるのであーる。
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2008年01月18日

0系に乗って

わたしは、滋賀県の米原という小さな田舎町で生まれた。雪深い静かでのどかな町。駅の周囲は、かつては見渡す限り田んぼだった。
 そんな田舎だが、なぜだか新幹線が停まった。北陸道と東海道の交わる交通の要所だったということで、新幹線開通当初からの停車駅として、小さいながらも知られたところだった。

 生家の2階の窓からは、いつも新幹線が見えた。ホームに向かって「いってらっしゃーい」「おかえりなさーい」と、見知らぬ旅人に、よく手を振っていた。手を振り返してくれる大人たちはいっぱいいた。
 「ひかり」が猛スピードで通り過ぎる時、トタンのボロ屋はガタガタと軋んだ。一日に何度もギシギシ、ガタガタ。今でもこのホームから、あのトタンの生家を見ることができる。わたしはこの駅に降り立つと、反射的にあの「昔の家」を探す。「ある」のはわかっているのだが、見つけるとなぜかホッとする。
 新幹線の往来を告げるホームのアナウンスも、ヒューンと走りすぎるドップラー効果満点の「新幹線の音」も、わたしを形作った原型のようなもので、今でも忘れがたき憧憬のシンボル。心象風景として、目にも耳にも心にも刻み込まれている。「博多行き」という電光掲示板に心を躍らせた少女の頃。地図で博多を探し、米原から指でなぞった。東京から博多までの停車駅を(意味なく)暗記したりもした。(@今でも言えるよ、たぶん)
 京都の短大へは、寝坊すると親に内緒で新幹線にこっそり乗って通学した。‘どんこう’の倍の料金がかかったので、そんな贅沢は許してはもらえなかったが、寝坊助のわたし、バイト代のほとんどはこの秘密乗車に消えてしまったと告白しておこう。

 あの0系が消えるらしい。
 乗り降りする大人たちをまぶしく見ていた、あの頃のわたし、そして0系。少女のころ、旅人やビジネスマン達に手を振っていたのも0系。娘時代、秘密乗車していたのも0系。名古屋に移り住んだ彼に、毎週のように逢いにいっていたのも0系だ。
 0系は、わたしにとってすでに懐かしいものだけど、本当に消えてしまったら、思い出にしかいなくなる。かつて300系が登場した時などは、「しょうゆ顔(@死語!)、かっこえ〜!」などと気を移したりもしたが(笑)、やっぱり新幹線の思い出と言えば、あの丸顔のやさしい0系に集約されるのである。

 あと43日で、0系は本当に思い出に変わる。何度も言うが、新幹線とはわたしの心象風景の主要なシンボルだ。今でもたびたび夢に現れる。夢の中の新幹線は、いつだって0系だから。また夢で逢おうね、0系。また、遠い日の憧れと思い出を乗せて現われてね。
 そして、あなたも夢で会いに来てください。新幹線に乗って。
 夢で田舎町の駅に降り立った時、ホームから、民家の2階で手を振る小さな女の子を見つけたら、それはきっと「わたし」だから。

 ※10:41に博多から、0系新幹線こだま629号が公式サイトの方に来てくれるらしい。ありがとうJR西日本ブログパーツよ。(^_^)
 *ちなみに「米原駅」はJR東海の管轄です。
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2008年01月12日

かわいくてしかたがない

さて、どーでもいいけれど、とある新年会に行ってきたダンナさまは、予想通りの行程(居酒屋◯◯→ロシアンパブ→フィリピンパブ)をこなして無事ご帰還。飲むとゴキゲンで気前良く優しくなる。そんなら、毎夜飲んできてくれてもかまへんぇ(笑)。泥団子みたいな顔で眠る夫に、ふと囁くとき。幸せとは不思議なもの。ささやかで、静かで、密やかで、実体がない。でも、確かにあると感じるもの。
こういう時、胸の中で、こそばゆいような、ムニョムニョッとした何かが動く。ムニョムニョがバーッと体中に広がると、なんだか落ち着きがなくなって、ザワザワして、わたしはなぜか動物的になり胸板をかきむしってかじりつきたくなるんだけど、これは官能的な意味ではなくて(笑)、あくまでも動物。子どもライオンたちがお互いを蹴りまくったり噛みまくったりしながら、ふざけている気分にたぶん近い。これは父性なのか、母性なのか、幼児性なのか?守ってあげたいような、遊びたいような、ムチャクチャしたいような…どこか小さな残虐性がわずかに潜む。「かわいくてしかたがない」。あえてコトバにすれば、コレになると思う。
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