2008年07月04日

去年の自分よ

「七夕の短冊何枚ほしい?」と娘が聞いてきたので、
「とりあえず10枚」と言うわたし。
近親者と自分と世界の平和を小さな短冊に託す。(笑)

織姫のオブジェに去年の短冊が、そのままついていた。
娘は、去年願いの叶えられなかった「25メートル泳げますように」という短冊を見つけ、「せやせや、これがあった!去年の自分よ、ありがとう」と叫んで、昨年と同じ願い事を再び記していた。

「去年の自分よ、ありがとう!」

何だか、かわいくて笑ってしまった。
その去年の自分の願いは叶えられなかったにも関わらず、それを思い出せたことに、彼女は(去年の)自分に感謝をしているのだ。
願いがかなっていないのに。(笑)

そして、わたしも自分に言ってみた。
「去年の自分よ、ありがとう」
報われなかった事も、叶わなかった事も、理不尽だった事も、いろいろあった気がする。
でも、それも全部、わたしの血肉。
posted by ミケ at 13:52 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野性の勘

近江八幡『水郷めぐり』の手漕ぎ舟の船頭さんの話。
80分1ラウンド。この間、しゃべりっぱなし、漕ぎっぱなし、歌アリ冗談アリで笑わせてくれるお茶目な船頭さん。これがその日一日で6ラウンド。とても70のおじいちゃんには思えない。
まあ、そんなおじいちゃん船頭さんだが、葦原の間で、舟を漕ぐ手を一瞬止められて、こんなふうにおっしゃった。

「ああ、この辺で南風が吹いているってことは、明日は朝から雨ですなあ。みなさんは、ほんまに良い日に来られましたなあ。一年で一番良い日和かもしれませんなあ。日ごろの行いがよろしいんでしょうねえ。わっはっはっ…」
 
 
一般の天気予報では、翌日も快晴の知らせだった。
わたしらは「あのじーちゃん、何かテキトーなこと言うて喜ばせてくれやはるな」と言い合い、彼が話した内容より、おじいちゃんのサービス精神の方を讃えていた。
 
 
そして……(あなたの予想どおり)
翌日の天気は、朝から晩まで一日雨模様だった。

予感していたこととは言え、何だか感動した。
やはり、日々自然と共に暮らす事を生業にしている方は、とても健康で豊かな感性を持っておられること。そして、それをお客を喜ばせる表現としている話法。まさにプロ。
空から見た気圧配置より、土地と共に生きていることからくる勘の方が、より正確であったのだ。
 
 
20年ほど前、福井さんというお天気キャスターが、関西で活躍されていた。
お天気おじさんの草分けで、独特の語り口に親しみと人柄の良さを感じさせる、関西では有名なお天気キャスターだったので、覚えていらっしゃる方も多いだろう。その福井さんが、かつて母校で講演会に来られておっしゃっていたことを、ふと思い出した。

「ある日、天気図から、晴れやと予報したんでしゅが、ツバメがえらい下の方を飛んでおりまして、おかしいなあ〜、(天気予報を)外したんかなあ〜と思てましたら、やっぱりハズレたんでしゅよ」(笑)

確か、こんなふうにお話なさったような気がする。
現代の利器を駆使して予報しても、古来からの人間の知恵や勘には叶わない…と。
 
 
現実と似ているかもしれない。わたしたちは現実を俯瞰で見たがる。俯瞰で見ると、先を予測できるような気がするから。
でも、生きていることは、先でも後でも、上でも下でもなく、ここ。「ここ」だけ。ここにいれば、ツバメの低空飛行を目撃したりして、必要な予測をより正確に行える。そこには「あさって」の予測は含まれないかもしれないが、あさってのことまでは、今は知る必要のないこと。
 
 
上から見てわかった気になるより、地べたで生きて、降ってくるものをただ味わう…。
そんな「ふつう」で素朴な在り方に、近ごろはより心を惹かれる。
船頭さんにはなれなくても、「南風の匂い」や「ツバメの低空飛行」というシンボリズムを、上からではなく、あくまでも「ここ」で味わう探究家でありたいと思ったのだった。
posted by ミケ at 13:52 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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