2008年09月03日

それぞれの絶望の中で

 相違点なんて、どんなに仲良しでもいくらかは必ず存在するが、夫婦の場合、相違を感じると、妙に孤独感を覚えるものである。
 「(パートナーと)いっしょにいるのに寂しい」ということは、だれにでも(とりわけ女性には)よくあることだけれど、これは、互いの相違点に気づいた時にわき上がる感傷をうまく言語化していると思う。

 二人の人間の間に、価値観の100%の一致などありはしないから、遅かれ早かれ、「いっしょにいるのに寂しい」という体験をするのは、どこの誰といたとしても当然のことなのだと思う。
 この寂しさを癒そうと、誰かと恋に落ち、その時ほんの少し慰められたような気持ちになっても、実のところ、心の奥底では傷を癒したいと甘ったれている人間同士、いずれ失望するのは目に見えている。
 どんなに遠くまで走ったとしても、孤独から逃れたくて、相手にその希望をつなぐような恋愛が芯から報われることはない。

 ソウルメイトや双子魂と言うものは、孤独を癒したい人間側の幻想が創りあげたものに他ならない。いにしえの聖者たちの言葉を信じるなら、もともとわたし達は一つの魂であった。それだけを答とすべきなのだ。

 (もし仮に、双子魂が存在したとしても、呼び合うことはできないだろう。恋しがることはできても。わたし達がたった一つで完結しない限り、仮に存在するそれとの、何億光年の隔たりを縮めることはできないだろう)

 「その」孤独から逃れることは、生涯、ない。だれといても、どんなに愛していても、その寂しさは付いて回る。

 ただ、もし、報われることがあるとしたなら、この底なしの寂しさはどうしようもないことなのだと心底絶望したときに、わたし達の中から何かが立ち上がる。
 これだけは、はっきりとわかっている。だから、そこにだけ希望がある。
 いずれ、わたし達のだれもが報われる。それぞれの絶望の中で。
posted by ミケ at 13:52 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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