2008年12月28日

猫天使の愛と憂鬱

 11月のはじめより、猫を飼っている。
 ミケなんてペンネームをつけておきながら、正直に言えば、わたしはイヌやネコの小動物が極めて苦手であった。わが家に猫がいるなんて、一年前の自分からは想像すらできなかった。
 
 こんなわたしだが、わが家の一員として猫娘を迎えることになると、可愛くてしかたがない、と感じるようになった。慣れないヘタレ猫ママのミケさん、お世話でジタバタしながら年は暮れていく。
 

 先日、まだ年若いこの猫娘に、いわゆる‘さかり’がきた。彼女にとっても、はじめての体験。

 今後もずっと、家猫としてそばにいてほしいと願っているわたしは、繁殖させるつもりはなくて、だから彼女に殿方を紹介することはこの先ない。
 しかし、ごはんもほとんど口にせず、わが身に何が起こっているか理解できぬまま身をよじることしかできない彼女を見ていると、何とも切ない気持ちになる。

 猫の発情は、本来季節のものらしいけれど、最初はまだ安定しないので、早々に次の発情がくることがあるらしい…。
 その通り、2週間経たない間に、またもさかりを迎えたわが家のニャンちゃん。机の角に顔を強く押し付けて、その場をしのごうともがく彼女。あげくに猫のバランス装置でもあるヒゲがひっかかってポロリと抜け落ちた…。

 何とかしなければ!

 満たされない欲情を抱えていることは、猫ちゃんには大きなストレス。繁殖が存在意義の大きな柱でもあるニャンコにとって、発情そのものが、人間のものとは著しく違う。彼女に激しい消耗を与えているのは明らかだった。
 
 クリスマスイブだったが、この日しか獣医さんの日程が空いていないということで、慌てて避妊手術を決行した。

 手術が無事終わると、麻酔から目覚めたということで面会に赴いた。

  ………

 …わたしは、このときのニャンコの姿を、一生忘れることはできないだろう。

 積み重ねられた檻の一つに、彼女はただじっと座っていた。周囲の犬の鳴き声に怯え、痛みに耐えながら、小さく震え続けていた。そのいたいけで哀れな姿に、小学生の娘は、耐え切れずに泣き出した。

 もちろん獣医さんが悪いわけでも、動物病院が悪いわけでもない。彼らは、ご自身の仕事を誠実にやってくれただけだ。

 わたしは、人間の業(ごう)を、あの無垢な存在に見せつけられうろたえたのだ。わたしは、「わたし」の業に直面させられ、言葉を失った。
 汚いコトバで申し訳ないが、ヘドが出る。
 人間という愚に。わたしという嘘つきに。

 なにが、癒されてカワイイだぁ!?ほざけろよ、オレ。このコがどんな悪いことをしたというのか?
 
 猫娘のいない部屋に戻り、今頃、あの小さな檻の中で、再び迎えにきてもらえるかどうかもわからないまま震えているのだと思うと辛かった。
 とてもクリスマスどころの気分にはなれなかった。娘の方も疲れが出たのか発熱したようで、頭が痛いと言って何も食べずに横になった。 


 猫の親元でもある姐さんに電話を掛けた。この一日の報告と、今の混乱と。

 3時間くらい話したかもしれない。(姐さんのクリスマスイブをまるまる電話でつぶしてしまった……m(_ _)m)
 
 3ニャンの猫ママでもある姐さんは、この愚を何よりも知っている。何度もこのシーンを目の当たりにしていても、泣かないで済むことは一度もないと言った。

 術後の彼らの姿は、一番見たくないものだけど、絶対そこから逃げてはいけない──そこから目をそらしてはいけない──猫といっしょに暮らすということ、ひいては人間が生きるということまで、モノを話せぬ彼らからしか学べないことは、あの瞬間に凝縮されているから──と。

 今年のクリスマスイブ。結局、この日の晩はぶっ倒れたように眠った。

 そして翌朝のこと。
 わたしはこの件に関して、思索の果てまで泳ぎ切った爽快感と諦観である意味、どこか生まれ変わったような気持ちになっていた。


 おそらく、何を選択したところで、すべてはわたしのエゴだろう。良かれと思ってやっていることさえ、いや、良かれと思っているからこそ、それがエゴにほかならないことに気づけない。
 そう、すべては人間の(わたしの)エゴ。 
 …飼い猫の話をしているのではない。

 わたしは、このことを猫の存在により知った。彼女がいなければわからなかった。
 すべては人間の(わたしの)言い訳。
 …飼い猫の話をしているのではない。

 生命にとって、最も欠くべからざるはずの感受性を失ったまま、わたし達はこぶしを振り上げ、善を振りかざしているという愚を。


 わたしは神が何者かは知らない。世界が本当に愛で動いているのか確信がない。ただ、こんなエゴイストな人間(わたし)であっても、しかし「翌朝」がやってきてくれること──これは愛に他ならない。

 わかってくれますか?

 わたし達は、愚かな人間であるということを外しては生きていけないのだ。猫を飼っていても飼わなくても、わたし達は、人のためと言いながら、実は自分のことしか考えず、日々言い訳に生きて、眠りにつく。
 
 ──なのに、わたしたちは生きることが許されている。
 
 そこには、愛 しかない。


 わたしの都合で傷つけられた猫娘は、今、わたしの傍らで眠っている。こんなにヒドイ目に遭わされても、彼女は愚かにもわたしを慕う。この愚かさは、崇高だ。無条件な‘それ’そのものだ。
 この愚かさ──。
 
 わたし達が「翌朝」を迎えられるという愛は、この愚かさに等しい。
 ニンゲンという、世界で一番情けなく愚かなイキモノを担当して、わたしは来年も恥をさらしながら生きていくことだろう。
 愛しいものを、こんな目に遭わしてもなお、性懲りもなくいつかもう1匹飼いたい…などとふと思ってしまう矛盾する心を、「このコにお友達を作ってあげたいから」などと、もっともらしい言い訳を垂れながら。


    ===ハイ、今回はここでおしまいです===


 ああ、一匹の猫ちゃんにも、わたしは叶わないよ…。(^^;)

 そんな年の瀬の、ささやかで、でも心に深く刻み付けられた出来事。来年も、こんなワタシがエラソーにごめんなさい…と言いながら、ほざけ続けまする。笑って許してくださいませ。
posted by ミケ at 13:52 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月25日

サンタの夢が醒める日

 二日前のことだった。
 「今年はサンタさんDSiくれるかなあ」と話す娘のそばで、夕方、夫からの携帯メール着信音が鳴った。
 この時間帯は、娘宛のメールも多いので、娘はためらうことなく「パパ」と書かれたメールフォルダを開けた。

 『DSi本体買った。』

 娘から「何これ?どういうこと?」と見せられ、慌ててケータイを取り上げる。

 (もーっ、パパのアホタレッ!)←わたしの心の叫び。


 「何?どういう意味?」を連呼しながら「パパとママからのサプライズってこと?」と聞くので、「そっ、そうやねん!」と動揺を隠せないまま答える。

 「そうなん?…やったら、サンタさんにはWiiを頼んでもええの?」と娘。

 (うぎゃ、それはあかん…)←わたしの心の悲鳴。

 「…なあ、なんでケータイを慌てて隠したん?」
 「…なんか、おかしいで」
 「…うちの家はサンタさんは来ぉへんの?」

 次第に窮地に追いつめられるわたし。

 「…なあ?なんか、隠してるやろ?」 


 いくつかのやりとりののち…… 


 「サンタさんというのは なあ……

   …ピンポンダッシュする◯◯のことなんや」


 窮鼠、猫を噛む というか、ああ、言ってしまった…。(;;)

 (※ちなみに、わが家のサンタクロースは、毎年イブに呼び鈴を鳴らして、玄関先にプレゼントを置いていくのです)


 情けない親の敗北でうなだれるわたしに、娘はひとこと「ガーン、タリラ〜ン…;」と言ったあと、ぎゃはははと大爆笑。

 「ほんまなん?いつもピンポンしてたのは、◯◯やったん?」
 「…で、そのあとダッシュして隠れてたん?」
 「…いつから?」
 「…最初から、サンタさんっていーひんの?」

 矢継ぎ早に質問攻めを受け、わたしは泣き笑いしながら、覚悟を決めてすべてを話した。娘も、涙を浮かべている。

  ………

 「…このこと、世界中の全部の大人が知っているの?」と娘。

 「ごめんね」と謝って、「サンタさんは、世界中の大人達が、世界中の子供達のために夢を与える壮大なファンタジーなんや」
 言葉を選んで、慎重に‘真実’を話す。

 「すごい…」

 すごいビックリ。
 すごいおもしろい。
 すごい大人。
 すごい芝居。
 すごいショック。

 娘は「すごい」のひとことに、すべての想いを込めていたように思う。

 「わたし、このこと、友だちには誰にもしゃべらへんわ」

 と、それでも娘は精一杯の思いやりを見せてくれていた。


 パパとママは、なかばアナタは事情を知っているものと思っていたよ。パパに「WiiがダメならDSiならええかなあ」なんて聞くから、確信犯やないかと思っていたんやね。
 もう11歳なんやし、お友達の中にはクリスマスを祝わない家もあるかもしれないし、とか。

 でも、娘は「サンタさんを本気で信じていた」と言ってくれた。
 パパにDSiをリクエストしていいかと訊ねたのは、「パパの反対するものを無理に頼んでもサンタさんは喜んでくれないと思ったから」と言った。これは、パパやママへの思いやりではなく、本気で信じていたことを伝えたセリフ。
 この日は、その後眠りに付くまで、思い出しては「ああ、信じれん」を連発してつぶやいていた。


 ここまできっちりと信じさせ得たのは、パパとママの腕です。(褒めて下さい)

 …で、うかつな対応ですべてを壊したのもパパとママです。(くすん)

  夢を与えたのが親なら、夢を壊したのも親。

 何だか、世間の縮図です。(^^;)


 でも、そのおかげで、受け止めようと精一杯に対応してくれている娘の成長が見られてママは嬉しかった

 …な〜んて、ちょっと調子良すぎるかもしれないけれど ね。

 本音を言えば、中学生になるまでは、まるっと夢を見させてあげたかったよ。親の方も、このイベントをけっこう楽しんでいたからねぇ。(笑)


 真実を知ってはじめてのイブの前日、娘は、天津木村をまね、
 「サンタさんが実は◯◯だと知ったときの、子供の気持ちを吟じます!」なんて、やっている。


 √今でもサンタさんに頼んだらぁあぁ〜 サンタさんがピンポンしてくれるような気がするぅ〜

 √サンタの真実を知ったけどぉおぉ〜 まだ受け入れることができないぃ〜

  アルトオモイマス。 (^^;)


 ===ハイ、今回はここでおしまいです===


 わが家の今年一番のヘッポコ失敗談を恥をさらして話してしまいました。(^^;)

 …が、このことは、むしろパパとママへのクリスマスプレゼントだったように思うのです。
 なぜなら、パパサンタに送った娘のメールの中には『親の愛ってすごいなあ』などと、泣かせるヒトコトを贈ってもらえたのですから。

 ああ、サンタクロースさん、長い間ありがとう。素敵な夢をありがとう。

 まあ、このあとに続けられていたのが、
 『…これからは演技しなくていいからね。クリスマスは23日でもいいよ。Wiiでもいいよ』
 とゲンキンなモンだったんですが。(笑)


 とは言っても、世のママさんパパさんは、決してうかつなことをしないでくださいね。これは、だらしのない親側の失敗例のサンプルです。(^^;)
 娘は、わたしにこう告げました。

「(小5にもなると)友だちの半分以上は、『サンタクロースはいない』と口では言ってる。でも、はっきりと知っている子はほとんどいない。いないって言ってても、心の中ではみんな『どこかにはいるかも?』って信じたいと絶対思っているもん。」と。


 サンタの夢は大人になれば、必ず醒める日がくるから。
 それまでは、夢を見させてあげたいな。
 子供の時しか味わえないファンタジーと現実との境目の海の底で、たくさんの宝物を拾って、大人の世界に踏み出してほしい。
posted by ミケ at 13:52 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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