2008年12月25日

サンタの夢が醒める日

 二日前のことだった。
 「今年はサンタさんDSiくれるかなあ」と話す娘のそばで、夕方、夫からの携帯メール着信音が鳴った。
 この時間帯は、娘宛のメールも多いので、娘はためらうことなく「パパ」と書かれたメールフォルダを開けた。

 『DSi本体買った。』

 娘から「何これ?どういうこと?」と見せられ、慌ててケータイを取り上げる。

 (もーっ、パパのアホタレッ!)←わたしの心の叫び。


 「何?どういう意味?」を連呼しながら「パパとママからのサプライズってこと?」と聞くので、「そっ、そうやねん!」と動揺を隠せないまま答える。

 「そうなん?…やったら、サンタさんにはWiiを頼んでもええの?」と娘。

 (うぎゃ、それはあかん…)←わたしの心の悲鳴。

 「…なあ、なんでケータイを慌てて隠したん?」
 「…なんか、おかしいで」
 「…うちの家はサンタさんは来ぉへんの?」

 次第に窮地に追いつめられるわたし。

 「…なあ?なんか、隠してるやろ?」 


 いくつかのやりとりののち…… 


 「サンタさんというのは なあ……

   …ピンポンダッシュする◯◯のことなんや」


 窮鼠、猫を噛む というか、ああ、言ってしまった…。(;;)

 (※ちなみに、わが家のサンタクロースは、毎年イブに呼び鈴を鳴らして、玄関先にプレゼントを置いていくのです)


 情けない親の敗北でうなだれるわたしに、娘はひとこと「ガーン、タリラ〜ン…;」と言ったあと、ぎゃはははと大爆笑。

 「ほんまなん?いつもピンポンしてたのは、◯◯やったん?」
 「…で、そのあとダッシュして隠れてたん?」
 「…いつから?」
 「…最初から、サンタさんっていーひんの?」

 矢継ぎ早に質問攻めを受け、わたしは泣き笑いしながら、覚悟を決めてすべてを話した。娘も、涙を浮かべている。

  ………

 「…このこと、世界中の全部の大人が知っているの?」と娘。

 「ごめんね」と謝って、「サンタさんは、世界中の大人達が、世界中の子供達のために夢を与える壮大なファンタジーなんや」
 言葉を選んで、慎重に‘真実’を話す。

 「すごい…」

 すごいビックリ。
 すごいおもしろい。
 すごい大人。
 すごい芝居。
 すごいショック。

 娘は「すごい」のひとことに、すべての想いを込めていたように思う。

 「わたし、このこと、友だちには誰にもしゃべらへんわ」

 と、それでも娘は精一杯の思いやりを見せてくれていた。


 パパとママは、なかばアナタは事情を知っているものと思っていたよ。パパに「WiiがダメならDSiならええかなあ」なんて聞くから、確信犯やないかと思っていたんやね。
 もう11歳なんやし、お友達の中にはクリスマスを祝わない家もあるかもしれないし、とか。

 でも、娘は「サンタさんを本気で信じていた」と言ってくれた。
 パパにDSiをリクエストしていいかと訊ねたのは、「パパの反対するものを無理に頼んでもサンタさんは喜んでくれないと思ったから」と言った。これは、パパやママへの思いやりではなく、本気で信じていたことを伝えたセリフ。
 この日は、その後眠りに付くまで、思い出しては「ああ、信じれん」を連発してつぶやいていた。


 ここまできっちりと信じさせ得たのは、パパとママの腕です。(褒めて下さい)

 …で、うかつな対応ですべてを壊したのもパパとママです。(くすん)

  夢を与えたのが親なら、夢を壊したのも親。

 何だか、世間の縮図です。(^^;)


 でも、そのおかげで、受け止めようと精一杯に対応してくれている娘の成長が見られてママは嬉しかった

 …な〜んて、ちょっと調子良すぎるかもしれないけれど ね。

 本音を言えば、中学生になるまでは、まるっと夢を見させてあげたかったよ。親の方も、このイベントをけっこう楽しんでいたからねぇ。(笑)


 真実を知ってはじめてのイブの前日、娘は、天津木村をまね、
 「サンタさんが実は◯◯だと知ったときの、子供の気持ちを吟じます!」なんて、やっている。


 √今でもサンタさんに頼んだらぁあぁ〜 サンタさんがピンポンしてくれるような気がするぅ〜

 √サンタの真実を知ったけどぉおぉ〜 まだ受け入れることができないぃ〜

  アルトオモイマス。 (^^;)


 ===ハイ、今回はここでおしまいです===


 わが家の今年一番のヘッポコ失敗談を恥をさらして話してしまいました。(^^;)

 …が、このことは、むしろパパとママへのクリスマスプレゼントだったように思うのです。
 なぜなら、パパサンタに送った娘のメールの中には『親の愛ってすごいなあ』などと、泣かせるヒトコトを贈ってもらえたのですから。

 ああ、サンタクロースさん、長い間ありがとう。素敵な夢をありがとう。

 まあ、このあとに続けられていたのが、
 『…これからは演技しなくていいからね。クリスマスは23日でもいいよ。Wiiでもいいよ』
 とゲンキンなモンだったんですが。(笑)


 とは言っても、世のママさんパパさんは、決してうかつなことをしないでくださいね。これは、だらしのない親側の失敗例のサンプルです。(^^;)
 娘は、わたしにこう告げました。

「(小5にもなると)友だちの半分以上は、『サンタクロースはいない』と口では言ってる。でも、はっきりと知っている子はほとんどいない。いないって言ってても、心の中ではみんな『どこかにはいるかも?』って信じたいと絶対思っているもん。」と。


 サンタの夢は大人になれば、必ず醒める日がくるから。
 それまでは、夢を見させてあげたいな。
 子供の時しか味わえないファンタジーと現実との境目の海の底で、たくさんの宝物を拾って、大人の世界に踏み出してほしい。
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2008年09月03日

それぞれの絶望の中で

 相違点なんて、どんなに仲良しでもいくらかは必ず存在するが、夫婦の場合、相違を感じると、妙に孤独感を覚えるものである。
 「(パートナーと)いっしょにいるのに寂しい」ということは、だれにでも(とりわけ女性には)よくあることだけれど、これは、互いの相違点に気づいた時にわき上がる感傷をうまく言語化していると思う。

 二人の人間の間に、価値観の100%の一致などありはしないから、遅かれ早かれ、「いっしょにいるのに寂しい」という体験をするのは、どこの誰といたとしても当然のことなのだと思う。
 この寂しさを癒そうと、誰かと恋に落ち、その時ほんの少し慰められたような気持ちになっても、実のところ、心の奥底では傷を癒したいと甘ったれている人間同士、いずれ失望するのは目に見えている。
 どんなに遠くまで走ったとしても、孤独から逃れたくて、相手にその希望をつなぐような恋愛が芯から報われることはない。

 ソウルメイトや双子魂と言うものは、孤独を癒したい人間側の幻想が創りあげたものに他ならない。いにしえの聖者たちの言葉を信じるなら、もともとわたし達は一つの魂であった。それだけを答とすべきなのだ。

 (もし仮に、双子魂が存在したとしても、呼び合うことはできないだろう。恋しがることはできても。わたし達がたった一つで完結しない限り、仮に存在するそれとの、何億光年の隔たりを縮めることはできないだろう)

 「その」孤独から逃れることは、生涯、ない。だれといても、どんなに愛していても、その寂しさは付いて回る。

 ただ、もし、報われることがあるとしたなら、この底なしの寂しさはどうしようもないことなのだと心底絶望したときに、わたし達の中から何かが立ち上がる。
 これだけは、はっきりとわかっている。だから、そこにだけ希望がある。
 いずれ、わたし達のだれもが報われる。それぞれの絶望の中で。
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2008年08月05日

子供から大人への哲学の螺旋

 「ときどき、コトバにできひん感覚があんねん」
 と、横になった娘が言った。
 11にもなる娘を今さら寝かしつけをするわけではないけれど、たまにいっしょのベッドで横になることがあって、彼女からいろいろな話を聞くのは楽しい。
 「…今、しゃべっているのは『今』なん?っていうか、うまく言えへんけど」
 「過去とか未来がぐちゃぐちゃしている感じ?」とわたしが訊く。
 「ちがう。ぐちゃぐちゃしているのは『今』なんよ」

 これを表現できる言葉は、わたし達の知っている中にはないから、言葉を発した瞬間から嘘みたいになってゆくね…というと、娘は大きくうなづきながら「そう、そうなんよ」と目を閉じたまま言っていた。
 「これは何なんやろ?」と聞くので、「ママが思うのは『人生』ではないなあ〜。『宇宙』かなあ。いや、『ほんまのこと』…かなあ」
 娘は「なんかうまく言えへん」と連発しているので、「『ほんまのこと』は、コトバにならへんもんやねぇ。ただ、なんかわからんけど『大事なあたりまえの感覚』だということだけは確かや」と、わたしもコトバを手探りしながら、感覚を捉えてゆく。

 子供は、思いもがけずに哲学的だ。わたし達にも、覚えがあるはず。宇宙の果てに想いを巡らした日を。亡くなった人が星になることを、わたしたちは、体のどこかで「わかっていた」のである。実は、子供の方がずっと本質的に哲学者なのだ。
 わたし達は言語を習得するほどに、本質から離れてしまった。あんなに近くにあった宇宙的な感性を手放してしまった。
 わたしは自分が遠い昔に無くしたものを、子供から学ぶ。‘あれ’を取り戻すには、わたし達は子供に還られねばならない。つまり、習得した言語を、一度捨てなければならないのである。
 言語を手渡されたとき、わたし達は、その代償としてあの宇宙的感性を支払うのだろうか?
 もし、そうであるなら、あの宇宙的感性を再び取り戻すために、喜んで、この言語を、学んだ気になり、わかった気にさせてくれたこの言葉を、代価として支払えばいい。
 そして、この一見ハチャメチャなメソッドが、実は、本質であることに気づけたとき、子供時代からようやく螺旋がひとめぐりしたことがわかるだろう。わたし達は大人でありながら、哲学的であることができるだろう。
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2008年07月04日

去年の自分よ

「七夕の短冊何枚ほしい?」と娘が聞いてきたので、
「とりあえず10枚」と言うわたし。
近親者と自分と世界の平和を小さな短冊に託す。(笑)

織姫のオブジェに去年の短冊が、そのままついていた。
娘は、去年願いの叶えられなかった「25メートル泳げますように」という短冊を見つけ、「せやせや、これがあった!去年の自分よ、ありがとう」と叫んで、昨年と同じ願い事を再び記していた。

「去年の自分よ、ありがとう!」

何だか、かわいくて笑ってしまった。
その去年の自分の願いは叶えられなかったにも関わらず、それを思い出せたことに、彼女は(去年の)自分に感謝をしているのだ。
願いがかなっていないのに。(笑)

そして、わたしも自分に言ってみた。
「去年の自分よ、ありがとう」
報われなかった事も、叶わなかった事も、理不尽だった事も、いろいろあった気がする。
でも、それも全部、わたしの血肉。
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野性の勘

近江八幡『水郷めぐり』の手漕ぎ舟の船頭さんの話。
80分1ラウンド。この間、しゃべりっぱなし、漕ぎっぱなし、歌アリ冗談アリで笑わせてくれるお茶目な船頭さん。これがその日一日で6ラウンド。とても70のおじいちゃんには思えない。
まあ、そんなおじいちゃん船頭さんだが、葦原の間で、舟を漕ぐ手を一瞬止められて、こんなふうにおっしゃった。

「ああ、この辺で南風が吹いているってことは、明日は朝から雨ですなあ。みなさんは、ほんまに良い日に来られましたなあ。一年で一番良い日和かもしれませんなあ。日ごろの行いがよろしいんでしょうねえ。わっはっはっ…」
 
 
一般の天気予報では、翌日も快晴の知らせだった。
わたしらは「あのじーちゃん、何かテキトーなこと言うて喜ばせてくれやはるな」と言い合い、彼が話した内容より、おじいちゃんのサービス精神の方を讃えていた。
 
 
そして……(あなたの予想どおり)
翌日の天気は、朝から晩まで一日雨模様だった。

予感していたこととは言え、何だか感動した。
やはり、日々自然と共に暮らす事を生業にしている方は、とても健康で豊かな感性を持っておられること。そして、それをお客を喜ばせる表現としている話法。まさにプロ。
空から見た気圧配置より、土地と共に生きていることからくる勘の方が、より正確であったのだ。
 
 
20年ほど前、福井さんというお天気キャスターが、関西で活躍されていた。
お天気おじさんの草分けで、独特の語り口に親しみと人柄の良さを感じさせる、関西では有名なお天気キャスターだったので、覚えていらっしゃる方も多いだろう。その福井さんが、かつて母校で講演会に来られておっしゃっていたことを、ふと思い出した。

「ある日、天気図から、晴れやと予報したんでしゅが、ツバメがえらい下の方を飛んでおりまして、おかしいなあ〜、(天気予報を)外したんかなあ〜と思てましたら、やっぱりハズレたんでしゅよ」(笑)

確か、こんなふうにお話なさったような気がする。
現代の利器を駆使して予報しても、古来からの人間の知恵や勘には叶わない…と。
 
 
現実と似ているかもしれない。わたしたちは現実を俯瞰で見たがる。俯瞰で見ると、先を予測できるような気がするから。
でも、生きていることは、先でも後でも、上でも下でもなく、ここ。「ここ」だけ。ここにいれば、ツバメの低空飛行を目撃したりして、必要な予測をより正確に行える。そこには「あさって」の予測は含まれないかもしれないが、あさってのことまでは、今は知る必要のないこと。
 
 
上から見てわかった気になるより、地べたで生きて、降ってくるものをただ味わう…。
そんな「ふつう」で素朴な在り方に、近ごろはより心を惹かれる。
船頭さんにはなれなくても、「南風の匂い」や「ツバメの低空飛行」というシンボリズムを、上からではなく、あくまでも「ここ」で味わう探究家でありたいと思ったのだった。
posted by ミケ at 13:52 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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